一あるいはいかにして少年は難しい顔をするようになったか一
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浮き雲をつかむ
結局、昨夜は駆け込みで空き部屋のあったチサンイン・ホテルに泊まった。見た感じでは悪くなさそうな印象だったけれど、神戸の格安ホテルの倍額ちかく代金を支払ったわりに部屋自体は粗末なものだった。タオルはなんだかちょっとべたべたするし、ドライヤーだって置いていない。暇つぶしにTVの画面を眺めているうちに眠ってしまった。

起きたのが遅かったためチェックアウトは9時半頃で、外は曇りがちな空のせいか珍しく涼しい。ホテルで洗ったシャツが生乾きのままでひやりとした感触が肌に残った。10時手前、地下街に入ってすぐのカフェ『リッチ』でモーニング・セットを頼む。名古屋といえば豪快なモーニング・サービスが有名でコーヒー一杯で山のようにサイドメニューが付いてくるという話だったのだが、ここはトースト+ゆでたまご+バナナという至ってごく普通のセットだった。名古屋といえどもやはり土地ごとにある程度の差異があるようで、そのような常軌を逸したサービスは田舎方面(岐阜寄り)に多く見られるらしい。しかしそれよりも隣のテーブルで朝っぱらからビールをおかわりしつつハンバーグ定食をがつがつと食べていたおっさんは一体何者なんだ。

朝食を食べ終えるとぼくは大須に向かって歩いた。大須のあたりは名古屋でも数少ない若者の集合エリアという話だったので一度見ておこうと思ったのだ。歩いているうちに曇り空にずいぶん晴れ間が出てきて、昼に近づくにつれ次第に陽射しが強くなってきた。おそろしくでかい車線の脇の歩道を直射日光をうけながら歩いていると頭がショートしそうになる。温暖化の要因はアスファルトやコンクリートによるところが大きいのだろうなと実感的に思う。

大須商店街は雰囲気でいうと高円寺に近い。若者の数はたしかにそれなりに多かったけれど、商店街のショップ構成はけっこう分別なく、たとえばオシャレなカフェや古着屋に続いて老舗の渋い食事処があったりと新旧混在しているので、若者的かというとかなり微妙なところだ。全体的な年齢層はどちらかというとやや高いかもしれない。それを決定づけるように、黒人さんの客引きが異常なくらいミスマッチだった。商店街のすぐ横に大須観音という鳩の群がる参拝神社があることからして、かなり特殊なエリアであるような気がする。

商店街をぐるっと一周してだいたいの感じをつかむと、入り口のちかくの大衆食堂風なお店できしめんを食べた。天ぷらとかき揚げがずいぶん油っぽかった。きしめん自体そんなに感動して食べるようなものでもないので、ささっと食べ終えると店を出る。そして大須観音駅から名城線を経由して名古屋城へ。特に深い思い入れがあるわけでもなく、観光名所自体あまり好きではない。暑いし足は痛いし目的もないけれど、さしあたってこれ以上観るところも思いつかないので、どうせならということで行ってみる。いずれにせよ今日で旅は終わりなのだ。

名城公園の一帯は濠と豊かなみどりのおかげで、いくぶん涼しげな風が流れていた。しかし正午をすぎてから陽射しは強まる一方で、木陰から出ると焼かれるような光線を肩に浴びる。どこかで子供たちの歓声があがったような気がした。ふと自分は淡い夢のなかをふわふわと漂っているような感覚に陥る。汗ばんだシャツがじとじとと肌にまとわりつき、口のなかはカラカラに乾いている。空には入道雲を引っかき散らしたようなダイナミックな雲の群れが浮いていた。どれもこれも掴めそうなくらい立体的で、それらの雲は夏の日の午後のためだけに存在しているように見えた。

* * *

ジンジャエールを買った。

名古屋城に関するぼくの感想はあまり多くない。素晴らしい好天で、それなりに観光客でにぎわっていたし、名古屋城の外観は思ったよりも迫力があって楽しめた。外人さんたちに紛れて天守閣に通じる階段をのぼってみたりしてみたけれど、そのうちに一体ぼくはなにをしているのだろうという疑念に襲われることになる。一体、なんのために名古屋城の天守閣に? 成りゆきだから差しあたる理由はないのだけれど、それにしても自分の今いる境遇を考えてみるとおかしくて、笑い出しそうになってしまう。名古屋城の天守閣に来ているひとの中には家族連れで来ているひともいるし、恋人同士もいるし、友だち同士もいるし、老夫婦もいるし、ぼくのようになんとなく独りで来ているひともいる。各々がそれぞれに生活と問題を抱えて独立した意識の中で生きていて、その連続したつながりが世界を立ち上げているのかと思うと、たまらなく不思議な気持ちになった。

名古屋から東京方面へ列車を乗り継いでいるあいだじゅう、ぼくはほとんど眠り込むようにして時間を過ごした。旅が終わって悲しいとか残念だとかいうよりは、ほっとしたような安堵の気持ちの方が強かった。今回の旅に出る動機は、おそらく現実逃避によるところが大きかったのだと思う。始めのうちは期待感の方が先行していたけれど、実際には打ちのめされるばかりでストレスが募ることのほうが多かった。現実からはどこまで行っても逃げることが出来ないし、言い換えれば現実はどこまでも続いている。旅先ではそれぞれに地元の住民の生活があって、ぼくはそれらのひとつひとつを眺めることで現実を思い知らされた。彼らはぼくに対して何かを投げかけているようにも感じた。これからどうしなければならないのか、どうやって生きていかなければならないのか。

歩いて帰路を辿る途中、ハイライトを一本取り出して、マッチを擦って火を点ける。あたりは暗く誰もいない。月明かりに照らされて薄く浮き上がる灰色の雲に、吐き出された煙りが静かに交わるように吸い込まれて消えていく。

| 西日本旅情編 | 17:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
かえってきた名古屋スタンダード
名古屋。それは今回の旅の主要目的のひとつであり、もっとも驚きと発見に満ちた街。

元街を発って名古屋駅に着いたのは夕暮れ時だった。一番の問題は今夜泊まるホテルの予約がまだ出来ていないこと。三ノ宮にホテルに泊まったときと同じ手法で予約しようと思っていたのだが、かねてから弱っていた携帯電話の充電がついに切れてしまったのだから困ったものだ。充電のついでに夕食をとろうと思い、適当な店を探して歩きはじめる。

名古屋といえば、おそろしく広く込みいった地下街が有名である。エスカ、ファッションワン、テルミナ、ダイナード、ユニモール、メイチカ、サンロード、ミヤコ地下街、フードターミナルという計9つのエリアから構成されていて、その渾然たるや初めて足を踏み入れるひとならば間違いなく立ち位置を見失うであろう迷宮の如き。ぼくは手軽な食事どころを探して歩き回ったのだが、何度も同じ場所に戻ってきてしまって愕然とした。しかし現地の名古屋ッ子はいとも簡単にするすると通り抜けていく。“地上よりも地下のほうが人口密度が高い”というのは驚異の進化であるような気がするが、これは地上の道路事情に起因しているのだろう。

そして名古屋といえば「みそかつ」である。目についた看板にそれと銘打っていたのはチェーン店風の雰囲気だったけれど、これ以上さまよい続けるのも気が引けたので意を決して入ってみる。なかなか混雑しているようだった。奥の席に通されてメニューを見て、みそかつセットを注文。ついでにコンセントを貸してもらえるかどうか訊く。すると「すみませんがやってないんですよ、コンセント」という予想に反した返答がかえってくる。やっていないとはどういうことなんだ? と確かめてみると実際に電気が通っていなかった。しかしそれなら何のためにコンセントが常設されているのだろう。

みそかつは赤出し味噌だれにカツをディップして食べる。甘みとコクのある濃厚な味わいが美味である。かさねて味噌汁も赤出しにしてしまうダブり具合が名古屋らしい。「携帯電話の充電でしたら、むこうの通りで扱っていますよ。有料になりますが」と先程の中年の店員さんが教えてくれた。「そうですか、ありがとうございます」とぼくはにこやかに対応したが、金を払ってまで充電するくらいならもう一軒どこかのカフェに入ってコンセントを貸してもらおうという魂胆だ。

そんなわけで店を出るとふたたび地下迷宮の世界へ身をゆだね、すこし歩いたところで、レトロな趣きのあるカフェの看板にいかにも名古屋らしいフレーズがあるのを発見する。「抹茶カプチーノ」とは、これはなんだ。よし、ここにしようと中に入る。壁際のテーブルに座って、メニューを運んできた若い女性の店員さんに例のものを頼む。店員さんは若干怪訝な顔をする。男ひとりで左様なスイーツらしき注文をするものだから、まあ仕方がない。頼むほうだって恥ずかしいのだ。

そして抹茶カプチーノは新世紀の到来を告げるように運ばれてくる。容積の半分以上が生クリームに包まれているというおそるべき事実に、名古屋得意の小倉あんに加えてなかにはシロップ漬けの栗までトッピングする甘さへの執拗なこだわり。これには申し訳程度に添えられた缶詰のみかんもまるで存在意義を為していない。ひとくちストローを吸い込むと、予想をはるかに超越した甘さに口腔は浸されることになる。生クリームのしつこい甘さを消すことなく抹茶風味の紅茶のようなとにかく甘い液体がたたみかけてきて、無意識のうちにグラスの水のほうへ手が伸びてしまう。終盤には上方の生クリームが液体の中へ溶け込み、革変したミルクティーのようにそれはもう筆舌に尽くし難い甘さを極めることになる。嗚呼、抹茶カプチーノ…。

「あの、このコンセント借りてもいいですか?」とぼくは訊く。「あ、いいですけど、たぶん使えないと思いますよ」と多少サバサバとした口調で店員さん。ほんとうだ、ここも使えない。「携帯の充電だったら向こうの通りの…」ああ、やはりそうなるのか。この地下街全体コンセントが使えないとなると、もしかしたら充電屋はいい稼ぎになるのかもしれない。なんだか(地下)街ぐるみで充電切れを起こしたひとを罠に陥れているようだ。まあ果たしてそんなに多く充電を切らすひとがいるのかというと疑問だが。

結局その充電屋(というかカメラ屋の一部)に行ってみると、20時までで受付を終わりという張り紙がある。時刻は20:02。店主にどうしてもだめかと訊いてみる。「まあ、営業時間の関係だからねえ、それは」ええ、そんな薄情な。「どこかでコンセントを貸してもらえないでしょうか?」と尋ねると「いや、だいたい普通貸してくれないよ」という冷笑で一瞥された。鳥取でも天橋立でも快く貸して頂けたのに、名古屋はなんてケチなのだ。都会というのは寂しいところである。

仕方がないので携帯電話は諦めて、徒歩で宿泊するホテルを探すことにした。駅周辺には多くのビジネス・ホテルがあるし、まだ時間も早いのできっと空いているだろう。きらびやかで絢爛なネオンと鳴り響く車のクラクションが名古屋の夜を騒がしく彩っている。

| 西日本旅情編 | 00:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
風の歌を聴く
午前10時にホテルのチェックアウトを済ませると、青々と晴れた8月の空に点々と白い雲が浮かんでいた。まだ背の低い太陽がまばゆいばかりに地表を照らしていて、目に映るあらゆるものは白んで見える。午後はもっと暑くなるかもしれない。歩きはじめるとすぐに汗ばむのが感じられた。

まずは朝食ついでにカフェへ行こうと考えて、辿り着いたのが『サンパウロ』だ。異人館通りの近くにあって、店の前にはブラジルの国旗が掲げてある。見た感じではちょっと渋めな喫茶店というところだったけれど、入ってみるとかなり本格的な雰囲気で、思わずアイスコーヒーにケーキ・セットという若干目的を間違えた注文をしてしまったほどだ。ワイングラスを思わせる上品なグラスに注がれたアイスコーヒーはブラックのままでもエグみのないさっぱりとした飲み口で、チーズケーキとの相性が抜群である。黒いベストがぴしりと決まっているマスターが印象的だった。

異人館通りは歴史的な洋館の建ち並ぶ北野の人気スポットであるが、いくぶん寂れかかった印象は拭えず、道ゆく観光客に声をかけるおばちゃん方の気苦労がうかがえた。取り入って興味を引かれるような建造物はなく(「ベンの家」だけすこし名前で惹かれた)、すたすたと歩いて一望すると次は元街の方まで行ってみることにした。街角の地図をたよりに南下していく。太陽は思っていたよりも爽快に白昼を照らし出している。

いわば北野は山よりに位置していて、元街は港よりに位置している。もうすこし実感的に書くと「北野は青山的で、元街は横浜的」であるとぼくは思った。神戸にスタイリッシュな女の子が多いのはなぜなんだろうとずっと疑問に思っていたけれど、このような環境で育てば自然と感覚が磨かれておしゃれに敏感になるのも納得できる。しかしおしゃれな男子が多いかとなると、それはどうもよくわからない。

元街には北野よりもずっと多くひとの流れがあってかなり騒がしい。中華街のあたりは特に混み入っていた。朝食がチーズケーキという胃も心も満足し得ない内容だったので、とりあえず近くのパン屋に入ってフランスパンを買う。神戸といえばなんといってもフランスパンだ。堅いのに堅くないというか、濃厚で深みのある味わいに感動した。スター・バックスで買ったラテを片手に元街をメリケンパークに向かって抜ける。だんだんと風に潮の匂いが感じられてくる。海が近い。

メリケンパークの入り口付近には、阪神淡路大震災の跡地として当時のままの状態で保存されている箇所がある。街頭が傾き、コンクリートは激しく亀裂している。ぼくが観てきた神戸の街は全体的に洗練されている印象だったけれど、あの震災があってそこから数年のうちに新しい町づくりとして復興してきたのかと思うと、妙に心打たれるものがある。そのまま公園を奥まで進んでいくにつれて、海原が目の前に広がってゆく。港の倉庫と貨物船が近くに見える。敷地の面積に対してひとの姿は数えるほどしかなく、余計に広々として感じた。若いカップルがバドミントンをしている。潮風が生温さを残して通り抜けていく。風に球が流される。彼女が笑う。木立が音を立てて揺れる。

ぼくは木陰のベンチに腰掛けて、ラテのゴミと引き換えに自販機で買ったジンジャエールを飲んだ。目に映るこの世界はとても穏やかで自然で、平和だった。すべての人間が幸福そうに見えた。しかし実際には世界も人間もそれぞれに問題を抱えている。現実はあくまでも見通しの暗いもので、だからこそぼくたちは非日常を現実に求める。映画に没頭するひともいれば、小説を書くひともいるし、あるひとは旅に出る。バドミントンだっていいし、恋愛に夢中になることもある。そういう風にして人間は生きていける。

ベンチに横になって目を閉じると木漏れ日のせいでまぶたの裏が赤く見えた。このまま眠り込んでしまいたいとぼくは思うけれど、世界はそのあいだ待ってくれない。現実はいつも先に行ってしまう。ぼくは身体を起こすと目を閉じたまま静かに深呼吸した。遠くで汽笛の鳴っているのが聴こえた。世界はどこまでも繋がっているのだ。

| 西日本旅情編 | 21:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
三ノ宮ナイト
三ノ宮に着いたのはもう日も暮れて薄闇が街を包みこんでしまった頃だった。ひとの流れと交通量が多く、都会的に混みあった建物と車のネオンが疎ましく見える。しかし視界に映るあらゆる情景はどういうわけかぼくの気分を高揚させた。再び神戸に戻ってきたのだ。

予約しておいたシティ・ホテルは駅から歩いて15分ほどですぐに見つけることができた。チェック・インを済ませたあと部屋を確認して(格安なだけあって十分な部屋だとは思えないが)、シャワーを浴びてから一息つくと夕食がてらに周囲を散策してみることにする。ホテルは観光スポットでもある北野の近くにあって、すこし歩くと行き着く北野坂やハンター坂、トアロードといったあたりの路地には洒落た雰囲気のバーやカフェが軒を揃えて立ち並んでいる。店内でジャズのライヴを行うレストランも多く、神戸のジャズ文化の深さと身近さに感心した。できることなら肌で体感したかったけれど、ひとりで入るにはちょっと敷居が高く残念ながら思いとどまってしまう。

結局、歩き回った挙げ句にホテルの近くに戻ってきてしまった。腹は空いているのだけれど丁度良い具合の店が見つからない。優柔不断なのは性格だから仕方がない。などと思っているとすぐ裏の通りに小さいけれど雰囲気のあるバー&レストランが目について、値段も悪くなさそうだったのでそのまま入ってみることにした。なかにはこざっぱりとしたカウンターがあり、外からは見えなかったが奥にはいくつかのテーブルがあるようだった。数人の女性が笑い声をまじえて語り合っている。照明は暗い。

店員はあまり決まりすぎていない30歳前後のマスターと、調理場で料理をつくっている職人肌のシェフの二人。ぼくはまずハイネケンを頼み(わけもなくハイネケンという気がした)、サラダとパスタをシェフのおまかせで適当に作ってもらうことにする。シェフみずから運んできてくれる料理は上品すぎない程度の気品があって好感のもてるものだった。そしてハイネケンを一本飲み終えてしまうとジャック・ダニエルのロックをマスターに頼む。

「ついさっきは女の子が来たんですよ」とマスターは言った。「ちょうど君と同じくらいの歳でね、一人旅をしているんだとか」

マスターは本をよく読むようで、村上春樹の話題で盛り上がった。神戸といえばやはり村上春樹だ。話の流れでカウンターの後ろにあるレコードの山からマイルス・デイヴィスの『Workin'』を取り出してプレイヤーの上に載せた。ぼくがなにか面白いカクテルはないかと訊くと、ホワイトペニーというマンハッタンにすこし甘さを足したような、すっきりとした飲み口のカクテルを出してくれた。全部でだいたい3000円くらいだったと思う。思ったよりは安くあがっていた。

ホテルに戻る途中、コンビニに寄ってスミノフとナッツを買った。すこし飲み足りないような気がしたし、どうせなら酔いの醒めないうちに眠りたい。

| 西日本旅情編 | 16:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
京都効果
人間は常に旅の途中にいる。ぼくたちは動機や事情の一切に関わらず現在に到り、さらにあまり見通しの明るくない地点へと進まなければならない。唯一はっきりしていることは、旅の終着点はそもそもの出発点であるということだけだ。

* * *

天橋立駅から一駅乗って宮津へ、そこから福知山まで行く。車窓の景色は見慣れてしまった山々と緑の木々をあくまで捉えつづける。白昼の日差しがガラス窓に反射して鋭く見えた。福知山駅に着いてもなにをする気にもなれず、そのまま園部を経由すると京都駅を目指す。この過程はやたらにトンネルが多く、しかし途切れがちに山中のあいだから見える渓流がとても美しかった。

京都駅に来たのは中学校の修学旅行以来となる。当時の記憶はほとんどない。こんなに立派な駅だったかすら覚えていないほどだ。この日の京都は炎天下にあって(といっても大体において夏は暑いわけだが)、午後三時頃にして異常な気温はピークを極めていた。アスファルトの地熱が中空を蒸し返し、蜃気楼のように眼前を揺らせる。少し歩くと軽い脱水症状のような感覚が起こり、これはまずいなと思って近くのそば屋に入った。

とりあえず冷たいコーラと、せっかくだから京都名物らしい「にしんそば」を注文する。そういえば昼食もそばだったな、と脳裏をかすめたがすこし遅い。水分と炭水化物を同時に摂取できるという点でそばはとても優れた食べ物なのだ、と解釈した。冷房がよく効いていてすごく涼しい。

コーラは瓶でやってきた。冷たい瓶のコカ・コーラほどこの状況に似合う飲み物もないだろうと思う。傾けたグラスに一杯ぶんだけ注ぐと、喉にぶつけるようにして一息で飲み干す。焼けるような喉の感覚に次いで目の裏に刺すような痛みが走り、同時に炭酸と糖分が徐々に身体の各器官をめぐりはじめる。一時的に麻痺していた脳はゆっくりと現実を呑み込み、まるで夢から覚めたようにため息を吐き出す…と、なんだか麻薬をやったみたいな気分だ。

気になっていた「にしんそば」は関西風のあっさりした京だしで、缶詰のようなにしんが乗っていた。汁は熱いくらいなんだけれど、にしんは死んだように冷たい(実際に死んでるけど)。若干期待はずれの感がある。前のテーブルでおばちゃん二人が店の主人をまじえて、テレビ画面に映っている靖国参拝問題について熱心に語り合っていた。

しばらく涼んだあとで店を出たけれど、なかなか足が進まなかった。京都に来たとはいえどこへ行けばいいのだろう? 悠長なことをしている時間はあまりないので、とりあえず気の向くまま近場の西本願寺に行ってみる。するとどうやら改装中なので、仕方なく東本願寺の方にも行ってみる。すこし日が陰ってきて歩きやすくなってきたが、足の裏の痛みは下関以来いっこうに良くならない。

東本願寺では取りたてて観るものもなく親鸞の御心に触れてしまうと、ぼくにはこれ以上歩きまわろうとする意志が残っていなかった。京都には意味深い文化がとても多い。それは別の機会にまた来ればいい。いまぼくの興味に優先されるのは、再び神戸を訪れゆっくり時間をかけて散策することなのだ。格安でシティ・ホテルの部屋も取ることができた。携帯電話のアクセスひとつで予約が出来るのだから、あらためて便利な時代なのだと思う。

帰り際、白く伸びあがった細長い塔がいくぶん滑稽に見えた。

| 西日本旅情編 | 17:19 | comments(0) | trackbacks(1) |
日本三景・天橋立
途中で何度か目が覚めはしたものの思ったよりは自然に眠ることができた。アスファルトの上に横になっていたため腰が痛かったけれど、防虫スプレーのおかげで刺された箇所はほとんどない。始発列車を前にして太陽は上りかけていた。今日もきっとよく晴れる。

支度をととのえて鳥取の駅前を離れると始発列車に乗りこむ。次は日本三景・天橋立(あまのはしだて)を目指すことにした。行きにおなじく日本三景の宮島を見たので、どうせなら帰りは天橋立に寄ろうと思ったのだ。浜坂、豊岡を経由してタンゴ鉄道に乗る。思ったより眠れたといっても浅い眠りにはかわりなく、ここまでのあいだほとんど寝てばかりいた。二両編成のタンゴ鉄道はまるで路線バスのようだった。

天橋立駅では「第一回近畿の名駅百選」と書いてある看板が立ち所に目についた。しかし今となってそのような面影は、どことなくしなびた雰囲気が感じられた。時間の流れから取り残されてしまったかのようにひっそりと薄暗くたたずんでいる。リュックサックを背負った観光客の姿がまばらに見られた。

駅を出ると照りつける日差しに目が眩んだ。まだ午前中にもかかわらず皮膚が焼けてしまいそうな暑さだった。軒並みには干物でも売っていそうな古い家屋やら、洒落っけのある小綺麗なレストランやら、浮き輪やビーチボールを軒下につり下げた売店やらが無造作に続いている。…浮き輪?

ぼくはずっと天橋立というところは文化的な土地なのだと思っていた(たしかにそうであることに違いはない)のだけれど、どうやら昔から海水浴場としてにぎわう観光地だったらしい、ということがあとになってわかった。そう言われてみれば付近の観光的な店の連なり方にも納得がいくし、実際のところ日が高くなるにつれて海水浴にくる若者や家族が圧倒的に多くなってくる。たしかに今日は絶好の海日和だ。

天橋立とは逆さに見ると天に架かる橋のように見える(通称:股のぞき)ことからこの名がついた。約7,000本の松林がつづき宮津湾を二分していて、海側は波立つ砂浜となり陸側は池のような静けさを水面に浮かべている。東西南北、どの角度からも美しく見えるという多面性が雪舟を代表する歴代の才人を魅了したという話である。

そのような知識をまえもって予習しておけばよかったのだが、思いつき程度で来てしまったために、若者の騒ぐ声とだんだん増してくる足の痛みに根負けしてさっさと切り上げてしまった。松林は3キロも続いていて到底いまの体力では往復できそうにない。しかしこの松の数々はなかなか立派で見る価値は十分にあった。海のシーズンが終わってもうすこし渋みが出てきたらゆっくりと楽しめるのではないか、と思う。

引き返してきて昼食をとろうと、いかにもうらぶれた感じの大衆食堂風な定食屋に入った。とにかく涼しければどこでもよかった。ほかに客はなく、奥のテーブルで子供たち(おそらくここの子供たちだろう)がトーストを食べていた。水を運んできてくれた柔らかい物腰のおばあさんにざるそばを注文して、コンセントを貸して欲しいと頼んだ。デジタル・カメラの充電が切れてしまったのだ。もちろんどうぞ、とおばあさんはやさしく言った。ぼくは礼を言った。

待っているあいだ手持ち無沙汰なのでメニューを見ていた。ここの刺盛り・大船(上)は24,000円もするらしいけれど、それはちょっと詐欺じゃないかと思う。先程まで奥でトーストをかじっていた子供(たぶん小学校低学年くらいだろう)がざるそばを持ってきてくれた。ぼくは礼を言った。いたって普通のざるそばだ。そばをすすりながら、そういえばここはもう京都府内になるのかと考えた。ずいぶん戻ってきたのだ。

| 西日本旅情編 | 14:13 | comments(0) | trackbacks(1) |
鳥取において鳥取を偲ぶ
鳥取の駅前は、見た感じでは意外と都会らしい。電車から見えていたこのあたりの緑豊かな田舎風景とは打って変わって、通りには数々のシティ・ホテルが建ち並んでいる。東横イン、ワシントン・プラザ…。今日はどうしてもホテルに泊まるのだ、と暮れ行く太陽を追いながらぼくは固く決心した。もう下関の二の舞を送りたくないし、シャツだって洗いたい。涼しい部屋で快適に眠りたい。しかし、事はやはりうまく進まない。

ホテルはどこも満室だった。行く先々のホテルは先客の対応に追われている。ぼくは困惑した。どうして鳥取がこんなにも混んでいるのだろう、と。たしかに予約していなかったぼくが悪い。けれど一般の客の泊まる部屋がないほど混雑するなんて、誰に想像できるだろう? 時刻は19時すこし前だった。ぼくは途方に暮れた。

冷静に考えてみると理由はいくつかある。まず宿泊施設が鳥取付近に密集していること。要するにこのあたりで一泊しようとすれば、ひとは必然的に鳥取に集まるのだ。次にそれなりの観光地であること。ぼくの頭には“鳥取=砂丘”というイメージしかなかったけれど、そういえば温泉の名所でもある。社内旅行のような一行も見られたし、団体で泊まれば部屋はほとんど埋まってしまう。

脳裏にまた野宿か、という思いがよぎった。ぼくはホテル泊まりの希望をあきらめきれず、とぼとぼと町中を歩いた。しかしやがてそれも悪くないかと思うようになった。下関の一夜を経験したあとで肝も座っていたし、どうせホテルは空いていない。いっそのこと開き直ってしまったほうが楽だろう、と。

一度そう決めてしまうと急に腹がへってきた。すこし歩くと『いままち食堂』というかなり大衆的な(というか勝手にやってくれ的な)食堂に行き着いて、ちょうどいい具合に大盛りのカツ丼を食べた。洗い場ではサル顔系のきれいなお姉さんがワイルドに皿を洗っていた。ぼくはそのお姉さんにことわって、携帯電話を充電するためコンセントを貸してもらった。声の感じでは23、4歳くらいかなと思う。ぼくよりちょっと上という印象をうけた。

お姉さんに一時のお礼を言って店を出た。満たされた気分にはなったけれど、問題はこれからどうするかという点にあった。当てもなくまた町中を歩く。小さな店の連なった商店街が区画されて続いていて、そのほとんどはシャッターが下ろされている。そのうちに渋い雰囲気の喫茶店をみつけた。この旅では困るととりあえず喫茶店(カフェ)に入るのだ。

ここの店主は相当な変わり者だった。40代も半ばといったところで、縁のない眼鏡をかけている。いろいろと世間話をしてみたのだが、何を言っているのかわからないことが多々あったし、だいたい視点が定まっていない。大丈夫かなあと心中ぼくは不安だったけれど、コーヒーの味に関しては抜群にうまかった。ミルクも砂糖も必要ない。フラスコで温めたりして煎れ方もすごくアナログだった。「自分の手で作ったのがいちばんうまいんですよ」と店主は言った。毎朝ちゃんと豆を挽いているらしい。

結局、二時間くらいはその喫茶店にいたと思う。店主は延々と職業柄の愚痴をこぼしていた。話し出すと止まらないタイプのひとのようだ。ぼくは適当に相づちを打った。どうせやることもないし、とりあえずコーヒーはおいしい。「まったく、商売あがったりですよ…」「パソコンっていうのはどうもよくわからんね…」「娘が漫画家になりたいっていうんでね…」

せっかくだから夜の砂丘でも観に行こうかと思ったけれど、歩いてだと一時間以上はかかるということなので惜しくもやめておくことにした。限界にきている足で一時間の徒歩はさすがに自殺行為である。仕方がないので野宿対策にコンビニで虫除けスプレーを買って(下関のときはとにかく虫が憎かった)適当な寝床を探して歩いているうちに、奇しくも銭湯らしき温泉を発見した。夜も遅かったので閉まる直前だったけれどなんとか入ることができた。この偶然がなかったら、この日の野宿は不快なものであったに違いない。

駅前の広場の隅っこに陣取って、近くの蛇口で歯を磨いてベンチにタオルを干した。家なき子状態にもすこし慣れた。しかも虫除けスプレーによって防御態勢は完璧である。雰囲気も静かで、すこしはましに眠れることを祈る。しかし鳥取はつくづく不可解な町だと思う。深夜にもかかわらず若者がつねに出歩いているし、その多くは“鳥取的”じゃない。ぼくの妙な先入観のせいかもしれないけど。

| 西日本旅情編 | 23:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
出雲〜鳥取
萩を出てしばらく山陰を東に上っていくと、出雲の駅に着いた。せっかくなので(『桃鉄』の)定番である「出雲そば」を食べてみようと思い、一度列車を降りる。あまりゆっくりする時間はない、というもの20分後の列車を逃すと次発がいつになるかわからないため、改札を出てすぐのそば屋でぱぱっと食べることにした。

ここではじめて知ったのだが、「出雲そば」という固有のそばがあるわけではなく、このあたりのそばは何でも「出雲そば」となるらしい。しかも実は松江の方がムーヴメントの中心であるという。なんだかよくわからない話だ。

いくつか種類があったけれど、悩む時間がもったいないので一番スタンダードそうな「割子そば」を注文する。ちなみに“わりご”と読む。三段重ねの丸い器に盛られたそばに、好みの量の薬味とそばつゆをかけて食べる。まあ無難においしい。時間がないのでささっとすすり、お勘定を払って列車に乗り込んだ。慌ただしいが仕方ない。

あいかわらずこの辺りも無人駅が当たり前のように続き、相当なワイルドさを放っている。切符だといちいち面倒だろうな、と思う。ぼくは例の青春なんたらとかいうチケットを使っているので、改札はパスできるのである。「ドアが自動では開きませんので、横のボタンを押して…」というアナウンスが延々と流れていてすごくしつこいのだが、まわりの乗客は慣れたもので気にしていない。列車は揺れる、ごとごとと。

前の席にやたらと行儀の悪い若いカップルがいる。高校生くらいだろう。弁当をくちゃくちゃと音を立てて食べるし、外の景色を見るとどんどん窓を叩いたりしていた。しかし、彼らは互いに一言もことばを発しなかった。彼女は黙って笑い、彼氏は黙って微笑んだ。彼らの意志は手を様々に動かすことで伝えられた。ことばがしゃべれないのだ。ぼくはいくぶんか彼らに悪いような気がした。彼らの表情は実に生き生きとしていた。

松江や米子を通り過ぎ、そろそろ日も暮れかけた頃、鳥取に着いた。多少高くても今夜は絶対にシティ・ホテルに泊まるのだ。

| 西日本旅情編 | 00:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
東萩、山陰へ
待望の始発列車に乗ってぼくは下関を発った。暑さとストレスと睡眠不足でそのころにはずいぶん精神を消耗していたし、実際に余計なことが考えられないくらい心持ちはすさんでいた。とにかく気を落ち着けられるところで十分な睡眠をとりたかった。冷房のきいた車内はまさに夏場の天国である。

山陽側を通って本州の西端まで到達したので、帰りは山陰方面をまわってみる。うとうとと眠っていたせいでほとんどこのあたりの意識はない。なんとなく東萩におりてみたあたりから記憶していて、おりてみたはいいけれど次の電車は一時間しないとやってこないというローカルな状況に陥ったため、近くのこれまたローカルな感じの喫茶店で朝食をとった。ぼくのほかにお客がいなかったので、T-シャツを乾かそうと日当りのいい席の椅子に広げ干させてもらった。朝早くから照りつける日光がガラス窓を通して差し込んで、空中に舞った塵がきらめいて見えた。夫妻とおぼしきふたりの店主はいたって寡黙だった。

萩は白壁の城下町として観光にもよく取り上げられる文化的な土地なのだが、そのような観光エリアまでは駅からすこし距離があるため、ことごとく歩き疲れて痛みすらおぼえるぼくにはちょっと及ばなかった。駅前には貸し自転車屋なるものもあったけれど、時間的にもそんなに悠長に構えている余裕はない。というわけで駅前にあった萩城の模型をみてさっさとあとにした。すくなくとも駅の付近は活気のかけらもなく、さびれきっていた印象である。

さて、山陰と山陽とではどこがどう違うのか。これがけっこうな違いが生じるのである。まずは列車が一気にローカルになること。先述のとおり一時間に一本なんていうのはざらで、しらずに途中下車すると予定外のタイムロスを受けることになる。車両も一両編成のワンマン車というバスみたいなつくりの列車になるのだ。ぜんぶがぜんぶそうとは限らないけれど、ぼくが山陰で乗った列車はほとんどこのタイプだった。

それからもうひとつの点では、日本海の景色。ぼくは北斎風のざっぱあーんとした荒波が吹きあれる海を勝手に想像していたものですから、おだやかで透き通った美しい日本海を目にしたときにはずいぶんと驚いた。太平洋側の景色はどこも同じように見えたけども、日本海は未知なる領域だからか見ていて新鮮だった。

基本的に山陰側は都市化が進んでいないため、田舎っぽさが至るところに残っている。駅でいえば無人駅が圧倒的に多い。昔なつかしい哀愁感というか、そういう心温まるような情緒に触れているうちにすさんだ心も自然と癒されたし、それがこの地域の特色であるように思う。

なにをするともなく列車はがたごと揺れる。山陰の旅は東に続く。

| 西日本旅情編 | 03:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
祭りのあと
締めの花火が打ち終えられると、人びとは余韻を味わう間もなくいっせいに帰りはじめ、予想通り、駅前は人の群れでごった返しになった。長蛇の列ができていた。そのあおりを受けて駅前のあらゆる飲食店はあふれるほどの満席になっていた。ロッテリア、スターバックス、ミスター・ドーナツ。よくもこんなに人が集まっているものだと、ぼくは感心した。皆、それぞれの土地へ帰っていくのだ。

ぼくはそのような人の流れに逆らって歩いた。人ごみを避けるように、なるべく人目につかない場所を求めて。当初から下関の夜は野宿をするつもりだった。花火のおかげでどこのホテルもいっぱいだったし、YH泊まりが三日も続いてさすがに飽き飽きしていた。まあどうにかなるだろうと思っていた。しかし、当然のように、物事はそううまく運ばない。

結局、ぼくは花火を観たあの山のふもとの公園に辿り着いた。駅からすこし離れているし裏通りに面しているので、人通りはほとんどない。ベンチがふたつ並んでいたので横になるぶんには不自由しなかった。問題は、山のふもとであること。すなわち虫の多さと、風の通らない蒸し暑さにあった。何度も腹をきめてもう寝ようと試みたけれど、そのたびに耳元に羽音が聞こえて起こされた。ぼくはあきらめて場所を変えることにした。

その後、どこまで行ったか覚えていないくらいひたすらに歩いた。方角としては関門橋を目指していたような気がする。唐戸市場のあたりも通った。寝る気分じゃなくなっていたし何をしたらいいのかもわからなかったので、歩くしかなかったんじゃないかと思う。足の裏のまめがつぶれて熱をもっていた。痛いという感覚はなかった。それよりも歩くことを優先した。

いつのまにかぼくは駅前に戻ってきていた。ひとの群れは消滅していた。浴衣のカップルも人員整理の警備員もいなかった。終電の時間はもうとっくに過ぎていた。ぼくは広場の石椅子に腰をおろして一息ついた。街はおそろしいくらい静かだった。どこかから誰かの高笑いが響いたけれど、それもすぐに夜の闇に吸い込まれていった。

そのうちにここで寝ればいいかと思った。ひらけているぶん、風が通ってすこし涼しい。よく見ると、まわりにふたりほど先客がいた。どちらも熟睡しているようだった。しかし横になると地熱が伝わってきて相変わらず蒸し暑い。からだじゅうが汗でひどくべたついていた。思えば朝は宮島で、午後は尾道でも歩き続けていた。相当な水分量を消耗していたんだと思う。いちどシャツを替えてみたけれど、すぐにまた汗だらけになった。だんだん腹立たしくなってきて、最終手段としてサウナにでも行こうと思ったのだが、どこも満室だった。花火大会の余波はどこまでも浸透していた。もう眠れる気分じゃなかった。

ぼくは自分の居場所を見つけられずに夜の街をさまよった。華やかに見えた夕暮れの街は、いまや表情を持たない虚構にしか思えなかった。ぼくは孤独だった。朝まで営業しているレストランをずっと探した。しかしそのような明るいネオンはぼくの目に映らなかった。日曜の午前三時にはあらゆるものが活動を停止していた。その影だけが、ぼくに存在の確かさを投げかけていた。

途方に暮れても行き着く場所はどこにもなく、また駅前の広場に戻って座り込むと祈るような気持ちで始発電車を待った。太陽が近づくにつれて逆に意識は遠のいていった。時間はゆるやかに流れ、世界はいつものように新たな一日を刻みはじめる。まるで何事もなかったかのように。

| 西日本旅情編 | 13:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
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