一あるいはいかにして少年は難しい顔をするようになったか一
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京都効果
人間は常に旅の途中にいる。ぼくたちは動機や事情の一切に関わらず現在に到り、さらにあまり見通しの明るくない地点へと進まなければならない。唯一はっきりしていることは、旅の終着点はそもそもの出発点であるということだけだ。

* * *

天橋立駅から一駅乗って宮津へ、そこから福知山まで行く。車窓の景色は見慣れてしまった山々と緑の木々をあくまで捉えつづける。白昼の日差しがガラス窓に反射して鋭く見えた。福知山駅に着いてもなにをする気にもなれず、そのまま園部を経由すると京都駅を目指す。この過程はやたらにトンネルが多く、しかし途切れがちに山中のあいだから見える渓流がとても美しかった。

京都駅に来たのは中学校の修学旅行以来となる。当時の記憶はほとんどない。こんなに立派な駅だったかすら覚えていないほどだ。この日の京都は炎天下にあって(といっても大体において夏は暑いわけだが)、午後三時頃にして異常な気温はピークを極めていた。アスファルトの地熱が中空を蒸し返し、蜃気楼のように眼前を揺らせる。少し歩くと軽い脱水症状のような感覚が起こり、これはまずいなと思って近くのそば屋に入った。

とりあえず冷たいコーラと、せっかくだから京都名物らしい「にしんそば」を注文する。そういえば昼食もそばだったな、と脳裏をかすめたがすこし遅い。水分と炭水化物を同時に摂取できるという点でそばはとても優れた食べ物なのだ、と解釈した。冷房がよく効いていてすごく涼しい。

コーラは瓶でやってきた。冷たい瓶のコカ・コーラほどこの状況に似合う飲み物もないだろうと思う。傾けたグラスに一杯ぶんだけ注ぐと、喉にぶつけるようにして一息で飲み干す。焼けるような喉の感覚に次いで目の裏に刺すような痛みが走り、同時に炭酸と糖分が徐々に身体の各器官をめぐりはじめる。一時的に麻痺していた脳はゆっくりと現実を呑み込み、まるで夢から覚めたようにため息を吐き出す…と、なんだか麻薬をやったみたいな気分だ。

気になっていた「にしんそば」は関西風のあっさりした京だしで、缶詰のようなにしんが乗っていた。汁は熱いくらいなんだけれど、にしんは死んだように冷たい(実際に死んでるけど)。若干期待はずれの感がある。前のテーブルでおばちゃん二人が店の主人をまじえて、テレビ画面に映っている靖国参拝問題について熱心に語り合っていた。

しばらく涼んだあとで店を出たけれど、なかなか足が進まなかった。京都に来たとはいえどこへ行けばいいのだろう? 悠長なことをしている時間はあまりないので、とりあえず気の向くまま近場の西本願寺に行ってみる。するとどうやら改装中なので、仕方なく東本願寺の方にも行ってみる。すこし日が陰ってきて歩きやすくなってきたが、足の裏の痛みは下関以来いっこうに良くならない。

東本願寺では取りたてて観るものもなく親鸞の御心に触れてしまうと、ぼくにはこれ以上歩きまわろうとする意志が残っていなかった。京都には意味深い文化がとても多い。それは別の機会にまた来ればいい。いまぼくの興味に優先されるのは、再び神戸を訪れゆっくり時間をかけて散策することなのだ。格安でシティ・ホテルの部屋も取ることができた。携帯電話のアクセスひとつで予約が出来るのだから、あらためて便利な時代なのだと思う。

帰り際、白く伸びあがった細長い塔がいくぶん滑稽に見えた。

| 西日本旅情編 | 17:19 | comments(0) | trackbacks(1) |
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『天橋立』について
天橋立天橋立(あまのはしだて)は、京都府宮津市の宮津湾にある景勝地である。天橋立は、約7,000本の松林が続く長さ3.3kmの砂州(大橋立、小橋立の2つに分かれる)、およびそれを展望する傘松公園の総称である。砂州は宮津湾を二分し、内海を阿蘇海(あそかい)という
| 京都の宴 | 2007/06/16 7:10 AM |
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